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「やあ、しばらくで」
と訊いた。
男は一歩下つた。
「あゝ、さうだつた。なあんだ!」
人に話しかけるときにも半分はきまつて独り言のやうになつてしまふ義母はどうもつれ合ひの道平の癖が丸うつりになつたものらしい。だが、道平の声音こわねはあまり響かないぽつりぽつり石ころを並べるやうな調子だつたのにひきかへ、この義母のは突拍子もなく起つて又駆足で空の向ふに消えてゆくやうな大声だつた。
と、房一は練吉の顔を見て思ひ出したらしく、
不案内なまゝに漠然と店土間の方へ向けて中庭を入つて行つた房一は、右手の塀の内側に一頭の馬がつながれているのを見て思はず足をとめた。一瞥した瞬間場所柄荷馬車馬でもいるのかと思つたのだが、よく見ると、それは鮮かな染色の黄羅紗の掛布の上にぴかぴかする乗馬用の革鞍が置いてあり、おまけに鹿毛の首筋から両脚にかけて汗が黒くしみ出ているところを見ては馬はたつた今さつきまでかなり駆けさせられたものらしい、四脚は軽くひきしまり、下腹部が小気味よく切れ上つて、胸の深いところだけでも、この辺には珍しい良い馬であることが判つた。房一はすぐ、こんな片田舎で誰がかういふ馬を乗り廻しているのだらうかと思つた。陸軍の演習でもなければこんなものが民家につながれていることはなかつた。それとも物好きな旅行者でもあつたのだらうか。
房一は持前の人慣れた愛想のいゝ微笑をうかべていた。それは水面にできた波紋がゆるく輪をひろげるやうに、彼の厚い醜い唇からはじまつてしだいに、顔全体をつゝみ、つひに容貌の醜さを消してしまふものであつた。
「まあ、のみなさい」
道平はまるで大きな輪がゆつくり廻つていて、その一点の結び目が眼の前に現はれたときにやつと口を開くかのやうであつた。
「ほう、クレーといふのはカワラケのことかね」
「うん、何かア」